テリー ドリー。 テリーとドリーとは (テリートドリーとは) [単語記事]

【スマブラSP】テリーのコマンド一覧と最新評価【スマブラスイッチ】|ゲームエイト

テリー ドリー

基本 性別 男 登場作• (初登場)• ひたすらに強さをめる孤高の士。 いの異名をとる。 強さをめるあまり悪しきへ走ってしまうが、心してのになる(後述)。 本作ではな扱いだが実際のところはになる予定だったらしく、は「初期設定ではがだったが感情移入しにくいと思いやめた」としている。 発売前のは、「がなのでのはそろそろにしようと思っている」としているので、・・の作のをまとめるとに該当するとする人たちもいる。 ではので低でと共に現れる時もある。 性能 加入した時点でのはとりに高いが、になる時期が遅く、その時には一同のも高くなっていて、お荷物状態に…ということが多い。 巷では「 」などと呼ばれてしまっている。 詳しくは「 」の項を参照。 ネタバレ この節にはに関する重要なが書いてあります。 昔はのと共に、に住むごくのであった。 しかしが当時の王の暴政の犠牲となり、にとして連れ去られた際、それを助けられなかったのがとなり、心に大きな傷を残した。 を助けられなかったのは自分が弱かったからであるとし、を出てからはひたすらに強さをめるようになった。 強さをめる一環として強いも常に探しており、王の宝・鳴のを手にした後、のスのをも手にしようとするが、スのはぼろぼろに朽ちて使い物にならなくなっていたため、に譲り、諦めて立ち去る。 上記の通り彼が強さをめてをする大元の理由はののためなのだが、と共にをすると何度も中ですれ違っているにも関わらず、の存在に気づく事がなかった。 最終的にはの元へ走り、守るべきはずだった本人に向けてを向ける事になってしまう。 を倒しを倒した後、自らを殺せとたちに叫ぶが、の説得を受け、と再会を果たす。 ようやくが告げられ、憑き物が落ちたようにになる(想な性格は直っていないが)。 に連載されていたでは「強い」をめる理由がより詳しくつけられており、のを連れ去ろうとするに対してで切りかかったものの、が折れてしえなく蹴り飛ばされてしまう。 そのため、を助けられなかったのは「が弱かったからだ」と強く思うようになっており、強いを手にする事に人一倍執着を持っている。 に懐柔された時も、絶大な破壊を持つ、しかし呪われており意識を支配される破壊のをエサにされたかのような形であった(では破壊のは登場せず所持しない。 では鳴のを持って襲ってくる)。 テリーのワンダーランドでの活躍 このようにではな活躍だっただが、発売の『 (テリ)』では まさかのに抜された。 本作では幼少時のを操作し、「」として、にさらわれてしまった幼少を救うため、ジュのとののを冒険することになる。 「のをにできる」という作品のため、やといった、6のからすれば驚きのをもとして従えることが出来たりもする(もっとも、「」においては級のは同じ姿をしたニセモノである、という設定はあるが)。 また、ではの自分に会うもある。 続編である『の冒険・の立ち』では、既に有名となったとして登場する。 「テリ」をにしたによる「」にもは登場する。 このは「テリ」のパラレル後日談という形を取っており、は「邪配合」に魅入られ悪のに落ちたとして、作中の扱いで登場していたが、本作は都合によるのための途中で連載が終了している。 そのため、「あの後はどうなったのか」という疑問、「邪配合との秘法の共通点」などから「=説」の補強など、によって様々な 推測がなされている。 には「テリ」の『()』が発売された。 本作では後に新たなが追加され、テリやともまた違った展開を見せることになる。 テリでは果たすことがかった・との共闘もある。 なお、「」のを一部導入しているため、本人も上でいくつかのや特技が使えるようになったりもしている。 余談だが、この作品で敵として登場するの自分である「士」は、自身が男であるため、達と同様に性別が固定……と思いきや、勝ち抜きでは敵の性別がであり、ごく稀にのも出てくる。 ドラゴンクエストヒーローズ は。 4、5のが多い中で、6から一の参戦。 ムートと対峙すると知り合う。 敵にを与えることによって回復できる「クルソード」、前方広範囲を攻撃できる「り」、を持つ遠攻撃の「稲妻り」、上にも届く前方広範囲攻撃「り」、分身のを2つつけて本体の動きをさせる「」などの技を持つ。 本作は回復手段がかなり限られているため、ではでも版7でも限りなくな特技だったクルソードは存在そのものが非常に大きな強みとなる便利特技。 稲妻りは士の苦手な遠をする技というだけでなく、などの硬い系の敵に良く効くであるのも嬉しい。 そしてこれらの強みをで3倍増しにして押せるのが最大の強み。 もちろん分身の与えるは本体にべてかなり小さいため、量も3倍と言うわけには行かないが、クルソードによる回復量は何故かその補正を受けないので、3倍のさでのはどんどん回復していく。 しかもの溜まるは単純に手数のみを見るため、で手数3倍状態で攻めているとの溜まり具合も3倍。 に到達するとになるという本作のも相まって、だけになっている時間が他の3倍あると言えばどんなものか想像できるだろう。 等で溜めに特化した装備を組めばになりっぱなしで戦う事も夢ではないほど。 のも全の範囲・威・射程を誇る強である。 さらにさらに、追加で手に入るに「ほしの」という専用が存在するが、これもかなりの性を誇る。 攻撃するたびに低で相手にをかけるというものだが、前述の通りはのおかげで手数がとても多いなので、このがすぐに発動して相手の守備がスッカラになる。 これでいて特殊効果と引き換えに攻撃が低いなんて事は全くく、攻撃最高のがであるのに対しもの攻撃を持ち、十分最終になり得る強さ。 弱点と言えばになった直後はが低く、相当上手くやりくりしないと上記のような特技連発戦法は厳しいこと、他にべて露に成長が遅い事。 彼の価を発揮させるには手間がかかるが、使いこなせれば状態に、一人であらゆる状況をひっくり返してしまえる強さを持つ。 ふん…こいつはなかなか強そうな関連動画だな 静画で見たい内容でもあるのか? 関連商品に何か用があるのか? 関連項目、面白そうなところだな•

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スタン・ハンセンが語る!「だから全日本と馬場はスゴかった」(柳澤 健)

テリー ドリー

70~80年代のプロレス界を牽引した伝説のレスラー、ドリー・ファンクJr. (72)&テリー・ファンク(69)。 その兄弟タッグ「ザ・ファンクス」が、全日本プロレスで22年ぶりにファン感涙の復活を果たしたのだ。 「最大のレジェンドレスラー、プロレス界のメシア(救世主)ですね。 試合内容はともかく、入場曲『スピニング・トー・ホールド』が会場に流れ、2人が登場するだけで、十分に盛り上がるんですよ」 こう語るのは、プロレスライターのターザン山本!氏。 10月27日の全日本プロレス両国国技館大会「ANNIVERSARY TOUR 2013」最終戦にザ・ファンクスが登場。 一夜限りの「復活リング」に臨んだのだった。 スポーツライターの市瀬英俊氏が回想する。 「ザ・ファンクスは、かつて『親衛隊』と呼ばれる白いボンボンを持った10代の女性、高校生などに応援されるなど、アイドルの追っかけみたいな一面もありましたね。 今回の復活試合(対渕正信・西村修戦)はドリーのエルボー・スマッシュと、テリーのサウスポーのパンチ、スピニング・トー・ホールドが見られればそれでOKっていう感じだったんじゃないでしょうか」 前出・ターザン氏も、 「今の40~50代は当時、青春時代の真っ盛り。 誰もがプロレスに熱狂していた時代です。 この年代は過去に生きる傾向がありますから、ドリー&テリーは強烈に記憶に残っていますし、本当に彼らの来日を楽しみにしていたと思いますよ」 ザ・ファンクスといえば、77年「世界オープンタッグ選手権」の最終戦で、ヒール役のザ・シーク&アブドーラ・ザ・ブッチャーのタッグが反則技のフォーク攻撃でテリーの右腕を大流血させた激戦が記憶に残る。 惨状を見かねたドリーが助ける兄弟愛で、幅広い世代から人気を得たのだった。 「テリーは膝の故障を理由に83年に引退したものの、治ったという理由で84年にひょっこり復活しています。 プロレスラーは引退宣言しても戻ってくる人は多いんですよね。 日本ではテリーはベイビーフェイス(善玉)として人気が出ましたが、85年にアメリカでWWEと契約してからは、ヒール役で活躍したと聞いています」(前出・市瀬氏) これがかなりハード系でリングにテーブルを置き、その上でパイルドライバーなどということも。 一方のドリーは、「80年代後半以降は、アメリカでレスリング教室の先生をやっていました」(前出・市瀬氏) そのかたわら、00年代までは全日本プロレスに外国人レスラーをブッキングするなど、裏方としてプロレス界を盛り上げていた。 そして08年3月には日本で引退マッチ。 全日のマットに兄弟がそろって上がるのは実に91年以来だったのだ。 今なお絶大な人気を誇る2人だけに「二夜目の復活」もあるかもしれない。

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テリーとドリー

テリー ドリー

今回は自他共に認めるファンクス・ファンであるセブンさんによるファンクスの2大必殺技二本立て!兄貴のジュニアはもちろんスピニング・トーホールドです。 それではセブンさんどうぞ! ************************************************** この技はドリーとテリーの父、ドリー・ファンク・シニアが開発した。 ある日、シニアが自宅の牧場フライング・メア・ランチで、暴れている牛を押さえつけるのに、牛の足を持ってフックし内側に回転して足を極めたら、暴れていた牛がピタッとおとなしくなった。 これをヒントにしたシニアは、内側に回転する事を連続で行い、それを人間に極める事をスパーリングで行い、ここにスピニング・トー・ホールドが完成した。 しかし、シニアはスパーリング以外では、決してこの技を試合で使う事はなかった。 シニアは「キング・オブ・デスマッチ」と呼ばれマスクを被って「ジ・アウトロー」として暴れていたのだが、これは自分の身体のサイズが小さく、NWA世界ヘビー級王者になれない事を悟っての事だった。 そのシニアの夢は二人の息子、ジュニアとテリーをNWA世界王者にする事だった。 シニアは自分が開発したこの技を自分では使わ ずにジュニアとテリーに伝授。 ジュニアはこれを完璧にマスターして、ファンク一家の夢であったNWA世界王者に輝いた。 時のNWA世界王者ジン・キニスキーをギブアップさせ、NWA世界王者となった技がこのスピニング・トー・ホールドなのである。 新しいタイプでサイエンティフィック・スタイルのジュニアはスピニング・トー・ホールドで次々と防衛を重ね、この技が世界的なポピュラーな技となり、弟のテリーも使うようになってから「ファンク一家の伝家の宝刀」と呼ばれている。 日本でも初対決の馬場戦で、ジュニアは馬場からスピニング・トー・ホールドを初公開し、キブアップを奪いジュニアの存在とスピニング・トー・ホールドの威力が日本のファンにも認知された。 ジュニアは4年3ヶ月の長期政権を築き、そのほとんどの試合のフィニッシュをスピニング・トー・ホールドで決めていた。 ジュニアが相手の右足を取っただけで期待感で客席がドッと沸いたものである。 父シニア亡き後、ジュニアとテリーはファンク道場で名レスラー達の育成を手がけたが、ジャンボ鶴田、ディック・スレーター、テッド・デビアスなどがこの技を盗んで使うようになった。 但し、ジュニアやテリーのスピニング・トー・ホールドは相手の右足を狙うのだが、鶴田、スレーター、デビアスらは左足を狙っているのが本家とコピーの大きな違いだ。 私はドリー・ファンク・ジュニアに、プロレスの基本的な技を教えてもらった事がある。 ヘッドロックやアームロック、リストロックに加え、バックの取り方、テイクダウンのさせ方を教えてもらったのだが、全てのジュニアの教えには、コツというかポイントがあった。 私は良い機会だと思いスピニング・トー・ホールドを教えてもらおうと思って、寝っころがってジュニアに右足を差し出し「スピニング・トー・ホールドを教えて下さい」と言ったのだが、ジュニアの答えは「No」だった。 理由を聞くと「この技は私と父のオリジナルでありシークレットなポイントがあるからだ」と言われた。 その時、私は「さすがに自分の代名詞と呼ばれる技を大切にしているな」とジュニアのプライドを感じたのだった。 日本のロックバンド「クリエイション」の竹田和夫氏がドリー・ファンク・ジュニアをイメージして作ったインストの曲が「スピニング・トー・ホールド」という題名で、当時の日本テレビの梅垣ディレクターがこの曲を発掘し、伝説の「77年世界オープンタッグ選手権大会」からザ・ファンクスのテーマ曲として使用され、オリコンで大ヒットした。 プロレスの技の名前が音楽の曲名になったのは「スピニング・トー・ホールド」が初めてではないかと思う。 全盛期のジュニアのスピニング・トー・ホールドは、回転のスピード、足首の決め方、技をかけている時の体重移動とバランスが最高であった。 私は、「このスピニング・トー・ホールドこそ、70年代を代表する最高の必殺技である」という持論を述べて、終わりにしたい。 解説 セブン様.

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