キングダム 信 モデル。 【キングダム】信のエピソードを徹底解説【嫁は?実在した李信がモデルは本当?】

【キングダム】信は実在した!?モデルとなった李信の最後と史実について

キングダム 信 モデル

「キングダム」の主人公信のモデルは史記に登場する【李信】 中華・春秋戦国時代の舞台を原泰久先生が豪快に描いた名作、「キングダム」。 年々ファンを増やしており、今や数ある歴史漫画の中でもトップクラスの人気を誇る。 人気の秘訣は多々あるが、その代表格となるのが主人公「 信」の存在でしょう。 信は下僕の立場から、誰もが憧れる「 天下の 大将軍」になる為、苛烈な戦国時代で奮戦する青年です。 彼の生き様を見て、感銘を受けた読者も多いはず。 そんな 主人公「信」のモデルとなった「李信」(りしん)を、皆さんはご存じでしょうか? 秦の始皇帝「政」のことはご存じの方も多いと思いますが、この「李信」については、キングダムが人気になった今もあまり存在が知られていないのではないでしょうか? そこで今回は、キングダムの「信」のモデルとなった「李信」について解説していきたいと思います。 また実際の史実を紐解き、今後の「キングダム」の展開も予想していきたいと思います。 「キングダム」の信が李信である根拠 ところで現在、作中では「信」としか名乗っておらず、周りからも「信」の一人称で呼ばれています。 果たして主人公の信は、史実に登場する「李信」なのでしょうか? いきなり結論になりますが、キングダムの主人公「信」は史実に登場する「李信」で間違いなさそうです。 根拠としては、「キングダム」1巻の1ページ目に、 信に良く似た一人の将 軍が描かれています。 そして周りの兵士達から「李将軍」「李信将軍」と声援を送られています。 恐らく 信の未来を描いたものだと思います。 また実はこの将軍が持っている矛は、 信が「王騎」から授かった矛と同一の矛です。 (「キングダム」単行本1巻 「無名の少年」) 上記二つの理由から、 キングダムの主人公「信」は史記に登場する「李信」と考えて、間違いないでしょう。 李信は謎の多い人物 では「李信」はどのような人物だったのでしょうか? 李信の活躍が記された歴史文献のひとつに 司馬遷の史記「王翦列伝」があります。 この史記には李信の活躍(後述)が記されてはいますが、題名のとおり王翦の活躍がメインであり、李信については簡単にしか触れていません。 中華の歴史の中に「秦」の滅亡がありますが、どうやらこの時に秦国に関する、正確な歴史文献がほとんど消失されてしまったようです。 その為、「白起」や「王翦」と言った春秋戦国時代の中心人物の名前は詳しく残されていますが、他の武将や文官達の詳しい文献は少ないようです。 李信についても例外ではなく、詳しい文献が少なく、その出生や生い立ちについても 謎が多いとされています。 逆に言ってしまえば、その分 脚色して自由に生い立ちや人生を描ける人物でもあります。 もしかしたら原泰久先生はそこに目を付けて、出生や生い立ちが謎の李信を敢えて「キングダム」の主人公に選んだのかもしれませんね。 李信の家系図 出生や生い立ちは謎に包まれていますが、「李信」の家系図や、子孫を記した文献は少なからず存在します。 【新唐書】李淵 まずは「新唐書」に記された情報から見ていきましょう。 春秋戦国時代から800年ほど下った「唐」の時代。 唐王朝を建国した「 李淵」(りえん)という人物がいるのですが、この新唐書に記された家系図には、この 「李淵」が「李信」の子孫だと記されているのです。 (「新唐書・李淵」より) このように記された文献は「新唐書」のみで、さらに李信達の生きた春秋戦国時代から800年もの開きがある為、真偽のほどは定かではありません。 ですがこれが本当であるとするならば、李信は子孫に建国者の一人を持つということですね。 【漢書】李広・李陵 「漢書」にもわずかですが、「李信」の痕跡が記されています。 紀元前119年あたりに「 李広」(りこう?)という人物がいます。 彼は武勇に長けた将軍で「飛将軍」と呼ばれていました。 (飛信隊に似ていますね) ですが特に大きな戦果を挙げることなく憤死してしまったそうです。 (漢書「列伝・24李広蘇建伝」より) そしてこの李広の孫に「 李陵」(りりょう)という人物がいます。 「李陵」はかなりの戦果を後塵に残しており、そのひとつに「匈奴」との闘いがあります。 李陵は自ら軍を率いて、匈奴の兵を1万人も討ち取ったそうです。 前置きが長くなりましたが、この大戦果を挙げた「李陵」、飛将軍と呼ばれ、武勇に長けた「李広」の家系図には、なんと 二人は「李信」の子孫であると記されているのです。 李広・李陵の時代も春秋戦国時代、李信の生きた時代より数百年もあとの話です。 実際に「李信」から「李広・李陵」までの家系図が細かく記されている訳では無いので、真偽のほどは定かではありませんが、これが真実であるならば、李信の子孫たちは偉人揃いだということが窺えますね。 李信はどんな将軍? では「李信」はどのような将軍だったのでしょうか? 原作「キングダム」では、 天下の大将軍を目指していますが、果たして彼は「大将軍」になれたのでしょうか? 李信は秦の大将軍 いきなりネタバレになってしまいますが、 「李信」は史記に名を遺すほどの 天下の大将軍であったと記されています。 (史記「王翦列伝」より) 秦の始皇帝・政が中華を統一するのに貢献した、将軍たちの一人であったと記されています。 現在の「キングダム」での信は、5000人将という、将軍のひとつ下の位です。 大将軍になるのはまだまだ先のようですが、信のファンとしては、この事実が知れただけでも、嬉しい限りですね。 李信の功績 「李信」の功績は多々ありますが、史記「王翦列伝」「刺客列伝」など、比較的信憑性の高いものから抜粋し、紹介していきたいと思います。 史記【王翦列伝、刺客列伝】より 紀元前229年~「王翦」が数十万の軍を率いて「趙」討伐に出征した際、「李信」も同じく王翦軍と共に趙を攻めたと記されています。 現在「キングダム」でもこれと全く同じ内容で、王翦が信や王賁、蒙恬らを従え、趙討伐の為、進軍していますね。 (「キングダム」単行本46巻「498話 大軍勢の緊張~」) また同じ王翦列伝より 「李信」は「王賁」と共に 「燕」を滅ぼしたと記されています。 「キングダム」では、信の盟友でありライバルでもある「王賁」。 彼と共闘し、「オルド」等の大将軍が割拠する「燕」を攻める場面を、いつか見ることが出来るかもしれません。 描かれるとしたらまだまだ先になりそうですが、考えるだけで胸が熱くなりますね! 少し脱線しましたが、このように「李信」は中華統一に貢献し、史記に名を遺しています。 燕の太子丹を討伐 上記でも触れた「燕」の滅亡について、 李信の戦果が詳しく遺されています。 紀元前226年、燕の「太子丹」が主導し、秦王「政」を暗殺しようと企てます。 この暗殺は未遂に終わりましたが、これに激怒した政は王翦、王賁、李信に燕討伐を命じます。 燕国に進軍した秦軍は燕の都を攻略し、燕軍を撃破します。 燕王喜と太子丹は遼東へ敗走することになります。 その際 李信は、自ら1000の兵を率いて燕軍を追撃し、太子丹を討ち取っ たと記されています。 敗走する軍とは言え、わずか1000の兵で追撃し、暗殺を企てた張本人を撃破することが出来たのは、李信の大きな戦果のひとつとして後世に語り継がれています。 (史記「王翦列伝」より) 史実から紐解く今後の「キングダム」の展開を予想 では「キングダム」での信は、どのような将軍になるのでしょうか。 ここまでの作中で描かれている描写をもとに、 将来の信の将軍の姿を考察してみましょう。 また上記で紹介した 実際の史実を紐解いた、今後の「キングダム」の展開も予想していきたいと思います。 「キングダム」の信はどのような将軍になるのか? やはり一番気になるのは、信がどのような将軍になるのかということですね。 現在「キングダム」での信は5000人将ですが、すでに 本能型の資質があるとされています。 将来は本能型の将軍として、敵陣を駆けるのでしょうか。 では「キングダム」での本能型の将軍というのは、一体どのような将軍なのでしょうか? 「キングダム」での将軍の種類 「キングダム」では現在、 後方で指揮を執り、知略を駆使して戦う頭脳派の 将軍(秦の王翦、趙の李牧など)と、 自ら兵を率いて最前線で戦う、武勇に 長けた将軍(秦の蒙武、楚の汗明など)がいます。 また 「王騎」のように、武勇、知略の両方に優れたオールラウンダーの将軍も存在します。 「キングダム」での信は、知略を駆使して戦っている描写はありませんし、軍略を習ったわけでもないので、よほどのことが無い限りこのまま 武勇に長 けた将軍になると思われます。 本能型の将軍 そしてこの武勇に長けた将軍の中にも、 異例な「本能型」と呼ばれる将軍(秦のヒョウ公、趙の尭雲など)が存在します。 本能型の将軍は、知略ではなく本能で敵の動きや、伏兵の場所、作戦を見抜いて戦います。 (「キングダム」単行本25巻 「詰んだ盤面」) 本能型の将軍には普通の軍略は通じず、軍略家たちを悩ませるとても厄介な将軍です。 信は 秦国が誇る本能型の大将軍であるヒョウ公の軍に入り、共に戦ったことがあります。 その際信は、ヒョウ公から「本能型の武将の才が目覚めてきておるぞ」と言われていました。 (「キングダム」単行本26巻 「本能型の才」) 本能型の資質があり、ヒョウ公から学んだこともあり、実際に信は 本能型の尭雲 との闘いにおいて、本能型同士の戦いを繰り広げています。 大将軍ヒョウ公のような本能型の兆しが見られますね。 信は本能型の将軍になり快進撃を繰り広げる(考察) ここからは、信が本能型の将軍になったとして、どのような活躍を繰り広げるのか?また実際の「キングダム」ではどのような展開になるのか?を実際の史実を紐解き、考察していきたいと思います。 燕攻略にて策を使う太子丹を信が本能で撃破 先ほど紹介した史記の中に、燕を攻略した際、李信が1000の兵を率いて太子丹を討ち取ったとあります。 このことから武勇ではなく、策や知略を駆使して戦う、燕の黒幕的な将軍として登場しそうです。 信は王翦・王賁と共に燕軍との激闘を繰り広げ、ついには 本能型の信軍対知 略型の太子丹軍との対決になります。 策を駆使して信を苦しめる太子丹ですが、信の本能型の力が覚醒し、ついに太子丹を撃破!】 という展開を予想します。 史記・王翦列伝において、燕を攻めたのは王翦・王賁・李信の3人であるにもかかわらず、太子丹を討ち取ったのは「李信」とわざわざ記されていることから、 燕討伐に関してはよほど李信の功績が大きかったことが窺えます。 信・王賁・蒙恬の共闘 同じく史記・王翦列伝より、 紀元前221年、李信・王賁・蒙恬の三将が斉 を攻め、これを滅ぼしたと記されています。 「キングダム」で登場した斉の王建王は、政に負けず劣らずの迫力を持った王でした。 「キングダム」でのラスボス的な存在になりそうです。 斉軍に苦しめられるも、ライバル同士であった三人は協力し合い、見事斉軍を撃破し、中華統一!(最終回)】 となるかもしれませんね。 原泰久先生がどこまで実際の史記と正確に照らし合わせて、執筆されるかは分かりませんが、 (信が燕の太子丹撃破、王賁・蒙恬との共闘)の話は描いてほしいものです。 信は対楚戦で大敗する 史記・王翦列伝に記されている李信の記録は華々しいものばかりではありません。 紀元前225年、秦王・政は超大国「楚」の攻略を目指します。 この際、李信が楚攻略の総大将に抜擢され楚に進軍するも、 李信は楚軍に大敗したと記されています。 信が20万を率いて楚に進軍 政は楚討伐に先立ち、李信と王翦の二人を招集します。 そして楚を倒すには何人の兵が必要か?と二人に問います。 李信は「20万人いれば充分」と答え、王翦は「60万人は必要」と答えます。 政は李信の20万人を採用し、李信に楚討伐を託します。 実際の史実ではこのようになっていますが、この内容を「キングダム」に置き換えて考察すると、信のあの性格ですから「20万もいれば充分だ!政!俺にまかせろ!」と大言壮語し、政や周りの不安をよそに、無理やり出陣しそうですね。 信の前に項燕が立ちはだかる 李信は蒙恬と共に20万の兵を率いて楚に進軍し、次々と楚軍を撃破、快進撃を続けます。 しかし楚軍の「 項燕」(項羽の祖先)という武将に奇襲され、2カ所の塁壁を破られ、7人の武将を失い、大敗します。 この項燕という武将は、「キングダム」では今現在登場していませんが、おそらく 趙の李牧に匹敵する、新たな強敵になると予想されます。 王翦が60万を率いて楚に進軍 項燕に大敗し、秦に撤退する李信。 政はやむなく 王翦に60万人の兵を託し、楚攻略に向かわせます。 この内容は 史記・王翦列伝に大々的に記されている、李信の大敗記録です。 おそらく「キングダム」でも、この話は描かれるでしょう。 史記では、王翦と蒙武が60万の兵を率いて楚に進軍したと記されており、李信の話は出てきません。 ですが 「キングダム」では、このまま信が黙って 引き下がるとは考えにくいです。 】 信が項燕にリベンジ 史記・王翦列伝には、王翦は蒙武と共に60万の兵を率いて楚に進軍し、楚を滅亡させた、とあります。 「キングダム」では、もちろん信の活躍も描かれるでしょう。 そして再度、項燕が大軍を率いて秦軍の前に立ちはだかります。 そこで信が、「待たせたな項燕」、と項燕に挑み、 信と項燕との一騎打ちになります。 趙のホウ謙に負けず劣らずの武力を持った項燕の前に、苦戦を強いられる信ですが、最後は王騎の矛で項燕を撃破!】 となってほしいですね。 ありえないと思いますか?ですが信は「キングダム」の主人公です。 楚攻略を王翦と蒙武にまかせて自分は秦で待機、とは考えにくいです。 史記とは少し異なる部分もありますが、是非とも 楚攻略に信を同行させて、項燕にリベンジしてほしいです。 「キングダム」の信の今後に期待! 史記に登場する李信は、「キングダム」の信同様、出生や生い立ちについては謎の多い人物でしたが、戦(いくさ)においては 様々な功績を遺していま す。 史記に記された秦の大将軍・李信の功績を考えると、これからの「キングダム」での信は、快進撃を繰り広げることになるでしょう。 そしてゆくゆくは秦の大将軍になり、 政と共に中華を統一する姿を拝めるハズです。 想像するだけで楽しみですね! 今後の「キングダム」での、信の活躍に期待しましょう! 当社は、本記事に起因して利用者に生じたあらゆる行動・損害について一切の責任を負うものではありません。 本記事を用いて行う行動に関する判断・決定は、利用者本人の責任において行っていただきますようお願いいたします。 合わせて読みたい• このニュースに関連する作品と動画配信サービス.

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キングダムの信は実在した李信将軍がモデル?歴史上は最後どうなる?

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パッと読むための目次• 短髪の黒い髪と鋭い目つきが特徴です。 性格は非常に荒っぽく短気でありますが、勇気があり戦場では先陣を切って突撃します。 また、曲がったことが嫌いであり、戦争で勝っても負けた国から略奪をしません。 仲間であろうと略奪や姑息な真似をする相手には容赦なく戦います。 しかし、仲間想いの一面もあり、仲間がさらわれたり、ピンチの時は一番に駆けつけます。 もともと、信は戦争孤児の少年であり、下僕でしたが「天下の大将軍」を夢見て、同じ下僕である漂と剣術の修行を行っていました。 その修行の成果と持ち前の身体能力で、初陣から大活躍を見せています。 今までにも、自分よりも格上の相手にもひるむことなく攻撃を仕掛けて打ち取っており、その姿が王騎に認められて「」という名の隊の隊長に任命されています。 その後も飛信隊の隊長として多くの戦場で功績を上げており、5千人将まで上り詰めています。 主に剣を武器として使っていましたが、修行の末に王騎の矛を使いこなしています。 >>飛信隊のメンバーは『』で詳しくご紹介しています。 信のモデルとは!? (遅報)歴史まとめ : キングダムの李信は負けた振りして退却した楚軍に油断した所を後方に周りこまれて大敗するよ。 — (遅報)歴史まとめ arumikan1007 ここまではキングダムでの信のキャラクターの特徴についてご紹介しました。 信は先ほども紹介したように「実在のモデルとなった人物」がいます。 そんなキングダムの信のモデルは「 李 信」という中国戦国時代から秦代にかけての秦の武将です。 しかし、李 信という人物がいたというのはわかっていますが、実際のところは詳しく判明していない謎の多い人物でもあります。 中国では、主に有名な人物は「史記」という紀伝体の歴史につづられています。 この「史記」には、一人一人の人物に注目して、その生き様や功績がつづられています。 ちなみに、その「史記」で最初に書かれた李 信の活躍は、紀元前229年~紀元前228年の間です。 キングダムでも登場する将軍・王翦(おうせん)が趙の大軍と接している間に、別動隊として太原・雲中に出征していたところです。 これはマンガ「キングダム」では41巻あたりです。 「別働隊」ということは「飛信隊」として動いていたということですが、それまでの経緯などは全くわかっておりません。 また、「飛信隊」という名前などは無いので、これはキングダムにてわかりやすくするための脚色でもあります。 つまり、キングダムの一部や41巻までは史実を元にしつつも、信の活躍はフィクションであり、敵武将をそこまで倒していたのかどうかなどもわかっていません。 次に「史記」にて、李 信という人物の名前が出るのは、紀元前226年です。 紀元前226年には、秦王暗殺未遂の報復として燕を攻めることを決めた時に、王翦・王賁(王翦の息子)が燕の都・薊(けい、現在の北京)を陥落させて燕王喜と太子丹を追い込みました。 王翦も王賁も、どちらもキングダムには登場しているので、ファンの方は熱い展開と言えるでしょう。 そして、この王翦・王賁が薊を陥落させて燕王喜と太子丹を追い込んだ時に、李信が千人の兵を率いて燕軍を追撃し、太子丹を討ち取ったとあります。 つまり、この時も「別働隊」として動いていたと思われます。 また、太子丹を討ち取ったという戦果を挙げたことからも、漫画と同じように武力はあるようです。 スポンサーリンク 信は敗北も多い!? 漫画「キングダム」では連勝続きであり、どんな敵にも勝ってきているイメージの強い「信」ですが、実際は負けも多いようです。 その証拠に「史記」では、紀元前225年にて李信の敗戦を記しています。 これは楚を滅ぼそうと考えた秦王が、その際にどれだけの兵数が必要かと臣下に聞いたことがあったそうです。 その時に李信は「20万あれば十分」と答えました。 しかし、一方将軍としての実力も高い王翦は「60万は必要である」と全く違った意見を出しています。 漫画でのキャラクターでも、信は猪突猛進な印象があるので、強気に「20万あれば十分」と言ってもおかしくはないでしょう。 また、王翦の方も軍略が得意で慎重派でもあったことから、「60万必要」と言ったのにもうなずけます。 こうして秦王は勢いもあったことから、強気に信の作戦を取りいれることになっています。 そして、隊を分けて李信が半分を率いて、もう半分は蒙恬(もうてん)が率いて楚に攻め入りました。 緒戦では二軍はそれぞれ大勝し、二軍はかつての楚の都であった郢(えい)の周辺まで押し込めることに成功しています。 しかし、城父(じょうほ)で李信と蒙恬が合流したところで、三日三晩追撃してきた楚の名将・項燕(こうえん)によって李信と蒙恬らは大敗することになります。 この大敗を知った秦王は、しかたなく立て直すために王翦を呼び戻して李信と交代させています。 その後、王翦は蒙恬の父である蒙武(もうぶ)と共に60万の兵を率いて、見事、項燕を倒して楚を滅亡させました。 つまり、李信は20万という見誤った戦略で攻めた結果大敗を喫し、ピンチに陥り王翦に助けられたということでもあります。 また、違う見方をすれば、李信の手柄は完全に王翦に持っていかれてしまったことにもなります。 どちらも武力はあるからこそ結果を残しているのですが、漫画ほどの活躍は李信はしていないようです。 あまりにも「史記」における李信の情報が少ないため、仕方がないことでもありますが、キングダムの初期の方であればあるほど、信の活躍はフィクションであると言え、一つの「仮想」とも言えます。 しかし、楚を攻める時に「20万で十分である」と答えたり、強気で自信家であるようなところはうかがえるので、性格の面ではあながち間違っていないのかもしれません。 >> 感動の名言が盛りだくさん! 「」はこちらから スポンサーリンク 信は実在した!モデルと人物を史実から考察まとめ 今回はキングダムの主人公である信のモデルについて紹介しました。 漫画なので実際の話とは大きく違う部分もありますが、より面白くカッコいい演出をするには仕方ないのかもしれません。 キングダムという漫画の一つの世界として、「こんな風なことが実際にあったのかな…?あったらいいよね」くらいの認識で楽しむのが一番いいのかもしれません。

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【キングダム】信のエピソードを徹底解説【嫁は?実在した李信がモデルは本当?】

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この記事の目次• 信はいつ大将軍になるのか? 秦王政の身代わりとして、死んだ幼馴染み、漂(ひょう)との約束が 「天下の大将軍になる」だった信ですが、史実ではいつ大将軍になるのでしょうか? それは紀元前229年から228年、が再び趙に進撃した頃で、 信は趙の太原(たいげん)、雲中(うんちゅう)に出征している事が確認されます。 別働隊という可能性もありますが、別個で一軍を率いているとも言えるので、 この頃には、大将軍に昇進していたと考えられます。 紀元前228年には、趙ではが佞臣の讒言が もとで殺害され、趙が滅亡する年に当たっています。 王翦は「60万」と答え、信は「20万もいれば楽勝」と言いました。 秦王政は、威勢の良い信を気に入り、信と)に楚の攻略を任せます。 意見を退けられた王翦は後難を恐れて隠居しました。 信は20万を2つの部隊に分け、信は10万を率いて平輿(へいよ)で、 蒙恬は同じく10万で寝丘(しんきゅう)にて楚軍に大勝します。 その後、合流した李信と蒙恬は、郢(てい)周辺を攻め再び楚軍を撃破しました。 度々の勝利で勝ったような気分になる信と蒙恬でしたが、どっこい、 それは楚の項燕(こうえん)の謀略でした。 そして、城父(じょうほ)で李信と蒙恬が合流した所を項燕は急襲、油断していた 秦軍は大混乱に陥り敗北、兵士の大半を失い七人の将校を失う事になります。 本来なら敗戦した将軍は死罪ですが、信も蒙恬も咎めを受けていません。 王賁と再び燕を攻め、そして斉を降伏させて天下統一 信と蒙恬が失敗した結果、項燕は秦まで攻め込んで 函谷関(かんこくかん)に取りつきますがそこで秦王政は 隠居した王翦を呼び戻して対応し、王翦は項燕を撃破、 さらに勢いを以て楚を撃破して楚王を捕えて楚を滅ぼしました。 しくじった信の出番は三年後、紀元前222年に遼東に逃げていた 燕王の喜を滅ぼし、さらに趙の王族で代(だい)に本拠地を置いた 代王嘉(か)も滅ぼし、これで完全に燕が滅亡しました。 これで秦王政の評価を取り戻したのか、翌年の紀元前221年には 最後に残った斉の討伐軍に選ばれ、王賁、蒙恬、信がそろい踏みで進軍。 援軍を求める相手もなく、斉王は降伏し中華は統一されました。 関連記事: 関連記事: 統一後、忽然と名前が消える信の不安なその後・・ しかし、秦による中華統一の後、信の名前は忽然と歴史から消えます。 正確には信ばかりではなく、王賁も、も王翦も も、記録が残る蒙恬は例外として、 多くの武将のその後の消息が不明なのです。 その大きな原因としては、紀元前206年、秦を滅ぼして咸陽に入った が、徹底的な掠奪の後に咸陽に火を放ち公文書を 灰燼に帰したので、大半の秦の歴史資料が焼けてしまった事にあります。 ですが、それ以上に深刻なのは、中華史上最悪、最凶の宦官、 により、秦の功臣達が皆殺しにされてしまった事でした。 関連記事: 関連記事: 保身に走った趙高により何万という功臣が殺された 始皇帝は遺言で、その後継者をオルドスに飛ばした 長子の扶蘇(ふそ)にしていたと言われています。 ところが、始皇帝が巡幸中に死去した為に、始皇帝の死は 始皇帝お気に入りの宦官趙高により秘密にされました。 その理由は、趙高が扶蘇と仲が悪かったからです。 かくして趙高は、同じく扶蘇と仲が悪かった丞相のを抱き込んで 遺言の改竄をし、末子のを後継者にしてしまいます。 そして、本来の後継者である扶蘇と後見人の蒙恬を自殺させます。 胡亥は李斯ではなく、家庭教師である趙高に懐いていました。 こうして、権力を握った趙高は、巻き起こる農民反乱などそっちのけで 自分の邪魔になりそうな、始皇帝の時代の功臣達を殺していきます。 やがて、趙高に反目した李斯も罪をなすりつけて殺しています。 関連記事: 関連記事: 文官の章邯が一番メジャーな将軍という秦の人材不足 秦末の陳勝・呉広の乱で、史書に名前が見える秦の将軍はや 王賁の息子の王離(おうり)、渉間(しょうかん)、蘇角(そかく)などしかいません。 そもそも、一番有名な章邯は、元は少府(しょうふ)という官名を持つ 高級貴族であり武官でさえ無かったのです。 ここにも趙高に殺され尽くした秦の人材不足が見えてきます。 趙高の虐殺がないなら、いかに農民反乱とはいえ、こうも簡単には、 拡大する事は出来なかったでしょう。 始皇帝に近かった信は、蒙恬同様に真っ先に粛清された! 趙高は、優秀な人物として評判の高い扶蘇を差し置いて、 胡亥が即位した事で遺言を偽造したのではないか?という疑惑を 常に秦の重臣や王族に向けられていたでしょう。 その恐怖心は、真っ先に軍を率いて六国平定に尽力した、 将軍達に向かったに違いありません。 ましてや、楚と戦って敗北しても罪を不問にされる程に、 始皇帝と親しかった信など、生かしてはおけなかったでしょう。 同様に、楚での敗戦を不問にされた蒙恬が真っ先に、 偽の勅命で自殺を命じられたように・・ 信は、一族もろともに刑場に引っ張られ、哀れ罪人のように、 首を落された、そんな最期だったのかも知れません。 関連記事: 関連記事: 新唐書にある信の子孫の話はどうなるの? 「ちょっと待って!信には子孫がいるんじゃないの?」 そういう疑問を持つ人がいるでしょう。 確かに新唐書(しんとうしょ)によると、信こと李信には李超(りちょう)という 子孫がいて、さらにそこから、漢の飛将軍、李広(りこう)に繋がり、そこから、 五胡十六国時代に西涼を建国した李暠(りこう)に繋って唐の太祖、 李淵(りえん)に繋がるようです。 しかし、この新唐書は西暦1060年に編纂されたもののようです。 確かに、現在は失われた古い系図を元に編纂した可能性も捨てきれませんが それにしては、あまりに英雄から英雄へ繋ぎすぎではないでしょうか? さらに、李信の最期や李超の記録がまるでなく、突然に李広に繋がり、 今度は五胡十六国時代に繋がるというのもあまりに唐突すぎるように思います。 関連記事: 関連記事: キングダムライターkawausoの独り言 では、キングダムでは、主人公である信の処刑で漫画が終わるのか? というと、さすがに漫画的には、それはないとは思います。 恐らくは新唐書の記述に従い、信には李超(りちょう)という息子が生まれ、 彼は父とは異なり、秦ではなく漢の大将軍になって、 始皇帝が急激な改革により失敗させた、法の支配による中華統一を 劉邦(りゅうほう)の時代に実現させる、そういう流れになるのではないでしょうか。 キングダムファン向け:キングダムに関する 関連記事: 関連記事: —熱き『キングダム』の原点がココに—.

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