三人の歌仲間。 5/8(金)予定「3人の歌仲間#33 石原詢子 多岐川舞子 大石まどか」生配信中止のおしらせ

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三人の歌仲間

本公演を楽しみにしていてくださった多くのみなさまには本当に申し訳ありません。 苦渋の決断とご理解ください。 こちらにつきまして、お楽しみいただければ幸いです。 21:00にて公開は終了させていただきます。 何卒よろしくお願いいたします。 主催 株式会社 エフ. ただし、無観客によるインターネットYouTube LIVEでのネット配信を実施します。 お手持ちの公演チケットにつきましては、チケット代の払い戻しをさせていただきます。 大切に保管いただきますようお願いいたします。 紙チケットは半券が切られている場合、払い戻しの対象外となりますのでご注意ください。 にてご確認ください。 払戻方法は、以下をご確認ください。 まとめて購入された場合は、該当公演チケットのみをお取りまとめの上、購入された方がお手続きください。 ご返金にお時間をいただきますこと、何卒ご理解、ご了承のほど宜しくお願いいたします。

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5/8(金)予定「3人の歌仲間#33 石原詢子 多岐川舞子 大石まどか」生配信中止のおしらせ

三人の歌仲間

作詞:宮本旅人、作曲 鈴木哲夫、唄:ディック・ミネ 1 清水港の 名物は お茶の香りと 男伊達 (おとこだて) 見たか聞いたか あの啖呵 (たんか) 粋な小政の 粋な小政の旅姿 2 富士の高嶺 (たかね)の 白雪が 溶けて流れる 真清水 (ましみず)で 男磨いた 勇み肌 何で大政 何で大政国を売る 3 腕と度胸じゃ 負けないが 人情からめば ついほろり 見えぬ片眼に 出る涙 森の石松 森の石松よい男 《蛇足》 昭和13年(1938) にテイチクから発売。 幕末から明治にかけて、"海道一の大親分"と謳われた清水の次郎長の子分のなかでも、とりわけ人気のあった3人をテーマとした股旅演歌。 ジャズ・ブルースなど洋楽系を得意としたディック・ミネの歯切れのよい、小粋な歌唱が大ヒットにつながりました。 清水の次郎長の元の名前は高木長五郎。 子どものなかった母方の叔父・山本次郎八の養子になったため、山本長五郎が本名になりました。 「次郎八のところの長五郎」から次郎長と呼ばれるようになったといわれています。 子どものころ、私はいろいろ覚えるのがおもしろくて、真田十勇士、水滸伝の108人の頭領たち、清水二十八人衆の名前などを暗記しました。 年を経て、今ではもう主だったキャラクターの名前しか出てきません。 少年雑誌の付録で清水二十八人衆の名前を覚えたとき、何回数えても27人しかいないのを不思議に思いましたが、最近、次郎長も入れて清水二十八人衆ということを知りました。 今日に至るまで、多くの人に知られている次郎長伝は、一時期次郎長の養子になった天田五郎(別名・鉄眉、のちに出家して天田愚庵) が書いた『東海遊侠伝 一名 次郎長物語』(明治17年〈1884〉輿論社) が基になっています。 この本は、博打規則違反の罪で収監されていた次郎長を援護する目的で書かれたため、次郎長を美化しているうえに、 かなり フィクションが加えられています。 このストーリーを脚色して講談に仕上げたのが、三代目神田伯山で、それを浪曲(浪花節) にしたのが二代目広沢虎造です。 昭和2、30年代には、ラジオで盛んに浪曲が放送されたため、私も、広沢虎造や玉川勝太郎の次郎長伝を何度か聞きました。 とくにおもしろかったのが、『石松三十石船』のくだり。 次郎長に金毘羅宮代参を命じられた石松は、船客のひとりが次郎長の子分で誰が強いかと話しだすのを聞きます。 「一番はなんたって大政だな。 二番は小政……」と続けますが、なかなか自分の名前が出てきません。 石松は、「江戸っ子だってねェ、スシ食いねェ」と おだてて 、なんとか自分の名前をいわせようと します。 そのうち、江戸っ子は彼が石松だと気がつきますが、わざと「そうだ、肝心なのを忘れていた。 森の石松、これは強い。 強いが馬鹿だ。 馬鹿は死ななきゃ治らねェ」とからかいます。 このくだりには笑いましたね。 もちろんこのエピソードはフィクションです。 次郎長伝には、このほか黒駒の勝蔵との抗争や荒神山の大でいりなどもありますが、子どもの私は、石松三十石船のくだりがいちばん好きでした。 次郎長伝にはいくつかフィクションがありますが、登場人物にも、実在が疑問視されている者が何人かいます。 たとえば、追分の三五郎は神田伯山の創作だとされています。 森の石松も、出自がはっきりせず、存在が疑問視されていますが、静岡県周智郡森町の大洞院(曹洞宗) ほか、数か所に墓があり、実在説を唱える人もいます。 実在の人物だったとしても、片目は疑問で、喧嘩で片目・片腕を失った 三保の松五郎を、天田が石松に移し替えたか、石松と松五郎とを混同したのではないかといわれています。 三保の松五郎は 、豚松という名前で 小説や映画に よく登場します。 大政・小政は実在の人物。 本名は大政が原田熊蔵、小政が吉川冬吉ですが、次郎長の子分になったあと、その養子になり、ともに政五郎という名前を与えられました。 同じ名前では識別しにくいので、体の大きい 熊蔵が大政、冬吉が小政と呼ばれるようになったそうです。 江戸中期から明治維新前後に活動した侠客・ヤクザのなかでは、次郎長はずば抜けて人気があり、芝居はもちろん、何度も映画化されています。 上の写真は荒神山抗争の手打ち式後の記念写真で、明治4年(1871) に撮られたもの。 ほぼ全員の名前が判明しており、前列向かって左から3人目が次郎長、後列左から4人目が大政。 2番の「国を売る」があまりよく理解されていないようですが、人を斬るなどの軽罪や義理を欠く行為を犯したために、郷里を出奔したり追放され たりする ことです。 今日の売国奴の売国とは意味が違います。 (二木紘三) 懐かしい!明治40年代に生まれで30年前に80歳で亡くなった父が常日頃はオペラのアイーダや、ボレロとか良く聞いていました。 他にもジャズやラテンのレコードをあつめていたり・・・・ その父が、なぜか「股旅物」の歌謡曲がだいすきでした。 私の長男が3歳の時次男が生まれ、やむなく実家に預けたのですが、夜になると母親の私のことをおもってか、ぐずって泣くので父が自分の帯で背負って、丹前を背中にかけて、泣きやむまで近所を歩きまわってるので、おまわりさんに不信がられ、職務質問されたりしたそうですが、その時に口ずさむのが、また旅ものの歌謡曲で周囲のものを、不思議がらせたそうです。 私の記憶にも「あれをごらんと~」とか、「惚れた女房に三行半を~」とか、自然に口に出る「股旅物」のうた。 きっと私も父の背中で、聞かされたのでしょう。 趣味も広くて、終生母がついていけない複雑怪奇な父だったようです。 そういえば、この歌をうたっている歌手のことで、私の大好きな叔母と父が言いあいになり、【あなたはどっちなの?】と迫られ困った私はあいまいにごまかしたのですが、【そういう態度を優柔不断】というのよと、大好きな叔母に難しい単語をはじめて教えられました。 三味線が入ってるから、また旅物はひかれるのでしょうか? 投稿: 伊藤 光子 2015年12月 6日 日 02時59分 二木先生《蛇足》に「次郎長はすば抜けて人気があり、芝居はもちろん、何度も映画化…」とある通り、映画で清水次郎長物と言えば、東映の正月オールスター映画『任侠中山道』『任侠東海道』『勢揃い東海道』が思い出されます(戦争末期生まれのせいか?昭和30年代東映時代劇ファンでした)。 東映オールスターの次郎長役は重役俳優や御大と言われた片岡千恵蔵で不動、もう一方の御大・市川右太衛門を吉良の仁吉役や国定忠治役とすることで、千恵蔵とのバランスを取ったと言われていたものです。 中学生の頃、ポン友と、清水28人衆とか何人衆とか、名前(大政、小政、森の石松、増川の仙右衛門、法印の大五郎、大瀬の半五郎、三保の豚松、桶屋の鬼吉、追分の三五郎、大野の鶴吉、関東の綱五郎、舞坂の富五郎、小松村の七五郎、興津の清之助、由比の松五郎…)を何人言えるか競ったものです(全く、しょうもない話ですが)。 投稿: 焼酎百代 2015年12月 8日 火 22時19分 カミサンの目を盗んで昼間っから安焼酎飲みながら(毎日でなくたまにですが)、細々と年金暮らししているジジイとしては(カミサンからは安焼酎でもタダではないと小言)、庶民にとっては暮らしにくくなっている殺伐とした御時勢で、『うた物語』はオアシスのようなものです。 さて、田中の春ちゃん(役者仲間からはこう呼ばれていたようです)は正に、はまり役でした。 なお、蛇足ながら、東映オールスターでは、月形龍之介が黒駒の勝蔵、山形勲が安濃徳でした。 また、清水28人衆の名前は前回記載した以外にも、清水の岡吉、四日市の敬太郎、問屋場の大熊、相撲の常吉、伊達の五郎、寺津の勘三郎、国定の金五郎、辻の勝五郎、鳥羽の熊…など実に多彩です。 投稿: 焼酎百代 2015年12月10日 木 23時02分 焼酎さま お変わりなくお元気のご様子安堵いたしております。 最近の「芋焼酎」のお味の方は如何なものでしょうか? 小生、昨日は「芋焼酎」の休肝日で、先ほどまで本日の仕事の反省会(私一人ですが)で、薩摩芋焼酎を少々美味しくいただいたところです。 最近では、この曲に代わり「奥飛騨慕情・ひとり酒・湯島の白梅」 などを、仲間と飲む時や、敬老会の席で歌うのが唯一の楽しみのようです。 今、思い出しました、中学時代の思い出に残る「音楽の美人N先生」のピアノ伴奏で、「旅姿三人男」の曲を心に込めて歌いたい心境です。 我が家では、昨日から「石油ストーブ」のお世話になっております。 北関東地方での気象状況は如何なものでしょうか。 これから寒さも続くと思われます。 お身体にご自愛くださいますように! コメントありがとうございました。 投稿: 一章 2017年11月16日 木 20時39分 YOUTUBEというのは高齢者の友です。 『次郎長富士』『続次郎長富士』という古い映画を見ました。 長谷川一夫=次郎長、市川雷蔵=吉良仁吉、森の石松=勝新太郎という配役です。 長谷川一夫のセリフの言い方が時代がかっていて、昔は好きじゃなかったが、今、聞くと実にいい、ドスが効いて・・ その次郎長映画の余韻のままにうた物語のこの曲にたどりつきました。 慶応4年、新政府軍が江戸城を総攻撃するために東海道を下って清水を通過することになった。 薩摩藩の大久保一蔵がどうしても清水次郎長に会いたいと思ったそうだ。 そして会った時に次郎長に聞いた。 「われわれのような尊王倒幕で意思統一された武士どうしでも、人間はまとまりにくい。 やくざとよばれる暴れ者や半端者を清水一家として立派にまとめておられるが、人心掌握の要諦をご教示願いたい」 しばらく考えて次郎長は「私は子分を叱る時は必ず1対1で叱る。 誰もいない部屋に呼んで向かい合って叱る。 時に大声で叱りとばすこともあるが、常に本人だけの状態にして叱る」と答えた。 大久保はこれを聞いてうーむ、さすがは次郎長だと感心したそうだ。 (この話は、司馬遼太郎のエッセイで読んだような気がするが、記憶に自信はない。 ) 次郎長のいいたかったのは、<人間のプライドは重んじなければならない>ということでしょう。 一寸の虫にも五分の魂と言う、あの魂です。 この話を聞いて、次郎長は実用主義的なセンスのある人だと思いました。 やくざの親分のイメージからすぐれた経営者のイメージに変わりました。 そう思うと、茶畑を背景に合羽姿で歩く28人衆が、社長・社員が一丸となって進む優良企業のサラリーマンに見えてきました。 福利厚生の行き届いた優良企業です。 投稿: 越村 南 2018年12月24日 月 23時24分.

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3人の歌仲間・・の練習

三人の歌仲間

「3密」は、政府の中枢にいる人が考えた言葉なのでしょうが、 「感染拡大を防ぐには、たくさん人が集まるという数的問題、近くに人がいるという距離的問題、風通しが悪い場所という空間的問題を解消しなければならない。 ……これって全部、『密』の字で説明できる! 」 と思いついた時は、かなり嬉しかったものと思います。 かつて好まれた結婚条件「3高」や、人が集まりづらい仕事の条件「3K」などと同様、三でくくると語呂も良いし、一気に受け入れられやすくなるのですから。 狙い通り、「3つの密」は瞬く間に日本中に広まりました。 しかし私のように、「三ナントカ」とくくられた時点で思考停止になってしまい、その中身のことを考えなくなる人が出てきてしまったのです。 慣用句化しやすい、「三ナントカ」。 「南無阿弥陀仏」のような言葉と同様、私のような者は響きとしてしか捉えずに、内容を見なくなってしまいます。 「3密」のセンターは、やはり「密集」です。 人が多いお店などを見ると、 「すっごく密! 対して、最も忘れられがちな影の薄い存在は「密閉」でしょうか 個人の感想です。 古い例で恐縮ですが、「密閉」はたのきんトリオのよっちゃん、シブがき隊ならふっくん的な存在なのでした。 すなわち三は、最も小さなピラミッドとなる数字なのです。 センターとかトップが作られがちだから、上下関係もできやすくなる。 そんな「三」のことを表現した、忘れられない曲があります。 その昔、子供番組でしばしば、 「3は嫌いだよ〜」 という歌詞の曲が流れていたのであり、その独特な歌は、幼い私の心に強烈な印象を残しました。 あれは何の番組だったのか、と調べてみると、日本テレビの「カリキュラマシーン」。 シュールなギャグが盛り込まれすぎていたせいか、四年間しか放送されていませんでしたから、「たのきんトリオ」という言葉が理解できる同世代の人以外は知らない番組でしょう。 その番組において、ひたすら「3が嫌いだ」ということを訴える、その名も「3はキライ! 」という歌が、メキシコのマリアッチのリズムで歌われていたのです。 「三」が嫌いな理由は、「二人が仲良くすると一人が仲間はずれになるから」というものでした。 一般的な子供番組であれば、 「三人のグループでも、仲間はずれを作らずに仲良くしましょう」 と歌うところでしょう。 しかしその歌は、 「三人いれば、一人が仲間はずれになるものだ」という必然を、子供達にシンプルに、しかし情熱的に伝えました。 長じて後、鉄道紀行が好きな私は、宮脇俊三氏の著作の中で、鉄道での旅は何人で行くのがよいか、ということについての記述を読んだことがあります。 もちろん、一人旅が最も気楽。 しかし食事の時など、寂しくないこともないので、気の合う人との場合は二人旅も悪くない。 しかし三人旅となると、 「二対一に分裂して、三角関係を生じやすい」 と、そこにはありました。 宮脇氏は別の著作で、人が三人集まると、それは小さな「社会」となるのだ、ということも書いておられました。 それを読んで私は、「そうか」と膝を打ったもの。 私の場合、仕事であれプライベートであれ誰かと会う時に、二人で会うのと、三人で会うのとでは、自分の心構えも態度も、微妙に違ってきます。 断然ラクなのは、一対一つまりは二人で会う方。 相手のことだけを考えていればいいからであり、視線や意識のそらしようがありません。 対して三人の集いでは、「社会」を相手にしなくてはならないので、意識すべきことが俄然、増えるのです。 周囲を見ても、サシで会う時と、三人以上のグループで会う時とでは、性格がかなり変わる人が見受けられるのでした。 三人以上の「社会」を相手にする時は、「自分をこう見せたい」という自意識がより強く働くせいなのでしょう。 サシで話している分にはそれほど嫌な人はいないものですが、三人以上では急に、人の性格上の癖が如実に表れてくるものです。

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