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ニュース | 新日本プロレスリング

新 日本 プロレス テレビ

日本 [ ] 日本における歴史 [ ] 日本プロレス - 男子3団体、女子1団体時代 [ ] 、が日本で最初の本格的プロレス団体・を立ち上げ。 新しいプロスポーツとして注目されたプロレスは、早速その旗揚げ戦からテレビ中継が行われた。 その端緒となったのは、およびだが、やがて後発の民放・ラジオ東京テレビ(現:)、(現:)も中継に参入した。 ただし当初は、主要な試合を不定期に中継するだけだった(特に民放の場合、提供スポンサーも流動的だった)。 なお旗揚げして間もない頃は、NHK・民放とも、ラジオでの中継も盛んに行われた。 また、NHK大阪放送局の実験放送期間中の1954年2月6日に主催の「マナスル登山隊後援・日米対抗試合」がからテレビ中継された。 本放送でないことを考えなければ、これが日本最初のテレビによるプロレス中継である (詳細は)。 、日本テレビが毎週土曜日の夕方に、プロレスの普及を図る目的の定期番組「」を開始(この番組に途中から、後年の提供スポンサーとなるが付く)。 これを発展させた形で8月29日から、日本テレビは金曜20時枠の「」(三菱電機単独提供)にて、日本プロレスの試合を独占中継する定期番組を開始した(当初はテレビ映画「」との週代わり放送であった)。 また大阪テレビ放送ではに「OTVスポーツファンシート・プロレスアワー」を開始。 テレビスタジオ内にリングを設け、の解説付きによる定期中継番組を開始した。 には、がと手を組んで旗揚げした団体「」の中継を1月3日からTBSが「」のタイトルでスタートさせる。 また日本テレビが放送していた「三菱ダイヤモンド・アワー」内の日本プロレス中継も、2月23日から毎週金曜20時枠放送へ移行した。 7月2日、当時のNETテレビ(現:)がプロレス番組に参入し、「」を水曜21時枠にて(後に月曜20時枠に移動)開始する。 しかし、メインイベンターの、ナンバー3の両選手の試合、および主だったタイトルマッチなどは日本テレビが独占中継としていたため、同団体ナンバー2の地位にいた関連の試合を放送するに留まった(即ち、メインイベントの中継は殆ど不可能だったということになる)。 だが、に猪木が同団体を解雇(日プロは協会として成り立っていたため、公式には除名である)される。 猪木という主役を失ったNETテレビは、日プロに馬場の試合の中継権を要求し、日プロ側は快諾した。 だが日本テレビ側には了承を取っておらず、4月3日、NETテレビが日本テレビとの協定を破り、馬場の試合を中継したため日本テレビ関係者が激怒。 1972年5月12日放送分を以って日本テレビ、日本プロレス中継は打ち切りとなった。 これにより、日本プロレス中継はNETテレビが独占する事になり、1972年7月28日には金曜20時枠に進出し「NET日本プロレスリング中継」をスタートさせ、9月まで月曜・金曜の並行放送となった。 10月、日本テレビが後ろ盾となって馬場をトップレスラーとするが旗揚げされると、同時に日本テレビも(以下、全日中継)を、1972年10月7日から土曜20時枠でスタートさせた。 一方の猪木もにを旗揚げしていたものの、こちらはテレビ中継が無いこともあり人材難・資金難で、倒産も時間の問題とされた。 新日本側がかつて猪木の試合を中継していたNETテレビに放送再開を求めたところ、既に崩壊寸前であった日プロに残留していた坂口の加入が絶対条件という回答があり、新日本は坂口に「トップの猪木と対等の条件」を出して引き抜く(だが、新日本入団後は対等ではなく、常に猪木のに回らざるを得なかった)。 このことで4月6日より、新日本プロレスを中継する新番組としての「ワールドプロレスリング」(以下、WPW)が金曜20時枠でスタートする。 引き替えに日本プロレス中継は1973年3月30日で終了し、日本プロレスも同年4月20日を以って崩壊した。 女子プロレスは、1968年にの中継「」(東京12チャンネル=現:)が定期番組として登場し、高視聴率を挙げたが1年余りで終了(その後団体も活動を休止)。 その後実質的に女子プロレス団体は、1団体のみとなったが、同団体の定期番組として「」がで放送された。 解説として後援紙の記者が就き、実況は元日本テレビアナウンサーのがの番組終了まで務めた(因みに「全日本女子プロレス中継」を製作していたのは、スポーツではなく、芸能・バラエティ番組を担当する部署だった)。 一方、東京12チャンネルは同じく1968年に「」のタイトルで海外プロレスの中継を開始。 当時の同局としては人気番組とも言える10%近い視聴率を出し、15%超えも記録した。 国際プロは1968年の中継開始以降、TBSが中継を請け負っていた(一時は団体名も「TBSプロレス」と名乗った)。 やがエースとして団体を支えてきたが、ゴールデン撤退・30分縮小や、小林がフリーとなり新日本に参戦してしまい経営が厳しくなると、1974年3月30日を以って諸事情で打ち切りとなった。 これを受け国際プロレス社長の吉原功は東京12チャンネルに中継再開を嘆願し、これが通じて9月23日より東京12チャンネル(現:)で「プロレスアワー」を国際プロレス中継に変更する形で月曜20時に「国際プロレスアワー」として中継を開始する。 この中継からは、らがブレイクするものの、東京12チャンネルは当時ネット局を持っておらず、関東圏以外では放送が難しかったことや、これに伴い中京・関西圏では愛知・大阪の2府県が未ネットとなったこと、当初の中継対象会場が関東圏のみであったことがあり、全国的な人気を得るまでにはいかなかった(そのため、全日、新日両団体に参戦することもあった)。 このころ試合が過激になるが余りに中継における問題点も指摘されたりした。 特にに行われたが絡んだ試合がカラーテレビで中継された時、その流血シーンを見たとされる老人らがショック死する事故があり、カラー放送を一旦中止したほか、国際プロレスで日本で初めて試みられた「金網」でも流血シーンが放送されたため、当時放映したTBSがその模様を一切放映しなかったこともあった。 その後国際プロの中継を引き継いだ東京12chでは金網デスマッチこそ放送されたものの、凶器攻撃があった場合は死亡事故再発をなくすためということで「凄惨な場面ですので、放送をご容赦くださいませ」という字幕を出し、応援席を写したというケースもあった。 1980年代 [ ] より新日本は猪木の異種格闘技戦などで絶大な人気を獲得し、1980年代前半には()の登場などで全盛期を迎えた。 この全盛期には、テレビ朝日アナウンサーのの「マシンガン実況」とも呼ばれる、独特のフレーズをマシンガンの如く繰り出す過激な実況が絶大な人気を得たことも大きく関係している。 当時はであり、番組が終盤の時間帯になると、不可解な裁定や脈絡のないで無理に試合を終わらせることも少なくなかった。 一方、全日中継はという新たなエースが誕生しやなどの豪華外国人を招聘したものの、人気の新日本と比べると地味な感じが否めなかった。 4月には土曜夕方枠に移行となり、WPWより一足先にから陥落してしまう。 しかし、に率いるが参戦すると、その話題性から人気が回復し、10月に再び土曜19時のゴールデン枠に返り咲いた。 また、この時代は、日本テレビと全日本との結びつきが最も強い時期でもあり、全日本の社長ポストは日本テレビの役員が出向の形で就いていた。 しかし4月には日曜22時30分からの放送となり、再度ゴールデンタイムから陥落してしまった。 国際プロは、から関東圏以外で行われる試合の中継も本格的に開始し、2月には東京12チャンネル主導でを獲得し、「国際プロレスアワー」も1980年10月4日から土曜20時へ移動したものの視聴率回復にはつながらず、3月28日にレギュラー放送が終了して特番枠放送へ移行し、団体も同年8月9日に活動を停止。 同年9月24日に特番枠放送も終了し、同年9月30日に国際プロ自体が崩壊し、所属選手は全日本と新日本の両団体に移籍することになった。 、新日本を離脱した、佐山聡らが従来のプロレスよりも格闘色を強くした新プロレス路線を目指してを旗揚げする。 団体後期の「シューティングプロレス」を展開した時期、国際プロ中継亡き後のテレビ東京が、その名の通り世界のプロレス団体の模様を紹介していた「」という番組の中で一部の試合を中継放映したものの、レギュラー放送枠獲得までには至らず、またネット局の少なさから知名度アップにも貢献しなかった。 第一次UWFはスポンサー企業の倒産や資金難により崩壊。 WPWもに14年半に渡る金曜20時での放送を終了し、同年10月13日から月曜20時に放送時間を変更した。 3月には古館が実況から降板したと同時に、実況生中継も終了してしまう。 同年4月からは、をメインパーソナリティとし、バラエティ色を強めた「ギブUPまで待てない! ワールドプロレスリング」にリニューアルするが、視聴率が半分にまで低下してしまう事態に陥る。 そして、土曜夕方枠に移行。 プロレスのレギュラー放送はゴールデン枠から転落することになった。 1980年代までは「プロレス団体にはテレビ中継が不可欠」と言われており、放映権料は団体の収入に於いて、興行収入よりも大きなウエイトを占めていた。 前述の通りUWFの崩壊には、レギュラー放送の獲得に失敗したことが一因に挙げられる。 によると当時日本テレビから全日本に支払われていた放映権料は7億円だという。 当時の7億円は、大規模会場での興行(、、など)に頼らずとも選手にギャランティが十分支払える額であった。 テレビ観戦記コーナーを設けていた頃のとは、発売前週の放送のデータを掲載していた。 週プロがのデータのみ掲載していたのに対し、ゴングはビデオリサーチと両社のデータを掲載していた。 WPWと全日中継は関東・関西地区のデータが掲載されていたが、「世界のプロレス」と打ち切り後の全女中継は関東地区のデータのみ掲載していた。 新生UWF、インディーズの台頭と中継の転機 [ ] 、一度崩壊したUWFが2年のブランクを置いて再び発足(通称、新生UWF)。 所属選手達は2年間、新日本に出戻っており、衝撃的な試合を披露したことで、UWFスタイルの格闘技が注目されていた。 そのため、旗揚げ戦のチケットは数十分で完売。 月1回しか興行は打たないものの、その興行収入とスポンサー収入で団体の資金は十分賄えており、テレビ中継も無かったがにはで興行を打つまでになった。 このことがプロレス団体にとってテレビの放映権料に頼らずとも団体運営が可能なことを見せ付ける大きな結果となった。 そのUWFも後に、創成期の、との間で、独占中継契約の締結に成功したが、中継開始直前に内部の不協和音から団体が崩壊。 しかし、3つに分裂した後継団体を含め、これらの事項により「非TV中継」、「主要以外との放送契約」という、プロレス界・格闘技界に新たな一ページを刻むことになった(因みにWOWOWは、前田の後継団体「」と契約し、まで中継放送を続けたほか、WOWOWもリングスをキラーコンテンツとしてアピールしていたことから、リングス側も世界規模のネットワーク構想等を形にすることが出来、後のの礎につながってゆくこととなった)。 になると、世間では既には崩壊へと向かっていたが、プロレス界のバブルはこの時代から隆盛を迎えることとなった。 まず全日本から二枚看板の一人、が引き抜かれ、がスポンサーとなって設立されたは、その資金力をバックに、それまでのプロレス界では考えられなかった演出や高額年俸などで話題となった。 このSWSの旗揚げ戦はテレビ東京のゴールデン枠で放送され、が風に実況を展開するという一風変わった中継を行っていた(同局は団体後期についても、月一限定で半年間中継を放送した)。 これらの演出は当時、「派手」「時代を先取りしすぎ」との批判が多く、またSWS自体も一部マスコミから「金権プロレス」などと大々的に叩かれ、結局内部闘争などもあり呆気なく団体崩壊の憂き目になってしまうこととなった。 一時は第三勢力とも見られた新生UWFやSWSがあっさりと崩壊していくなか、意外な健闘を見せたのが、「馬場の方」でも「猪木の方」でもないインディペンデント、即ちインディーズ団体である。 その最大の団体が、に誕生したであった。 全日本プロレスで引退後、のレスラーとして細々と活動していたが設立したこの団体は、新生UWFの逆方向を行き、それまでの日本のプロレス団体では憚られた電流爆破などの過激なを売り物にした。 同時に「俺たちはこんな生き方しか出来ない、それでも俺たちはプロレスをやりたい」といった、弱小であるがゆえの一生懸命さを訴えかけることで、ファンのハートを掴んでいった。 こうしたインディーズ団体は、規模や知名度のマイナーさ(および放送を躊躇うほどの過激さ)などから定期的なテレビ中継はおろか、テレビで取り上げることさえも難しいものがあったが、一方では今までにない形式が興味を呼び、いわゆる「口コミ」などで確実に固定客を獲得していく。 FMWの場合、中継がないのを補うかのように、大仁田が一般メディアやテレビのバラエティ番組に積極的に登場し、顔を売りまくったのも大きかった。 その甲斐あって、FMWはなどの大会場での興行を行うまでに成長、そして大仁田は、一般の知名度だけなら、馬場や猪木と肩を並べるくらいになっていた(一般のメディアに数多く露出して知名度を高めるという手法は、新生UWF当時の前田日明が既に試みていたものだったが、大仁田ほどに媒体を選ばずに際限なく露出することはなかった)。 新生UWFによって切り崩された「テレビ中継が不可欠」というある種の法則は、FMWの成功で覆される形となり、そうした成功例に刺激され、テレビ中継に頼らない団体経営が当たり前の様に行われるようになった。 かくして以降は、小規模な団体が旗揚げしては崩壊、旗揚げしては崩壊を繰り返すこととなっていく。 (因みに「中継」という形ではないが、1990年代中期、テレビ東京のスポーツニュース番組「」では、週1回「バトルウィークリー」というコーナーを設けていた。 独占契約のあるメジャー団体を除いた、プロレス界や格闘技界の1週間の動きを追うというもので、ここでもインディーズ団体を積極的に取り上げていた。 ) 一方メジャー団体の新日本と全日本もテレビ主導ではない、現場主導の全盛期を迎えていた。 既に両団体共に放送枠は深夜に移っており、視聴率や放映権料などの面で全盛期の後塵を拝する状態とはなっていたが、新日本はの活躍により東京ドームを始めとする全国の会場で大会を開き、常に5万人以上の観客動員を集めるようになり、全日本は馬場の堅実経営もあってドーム会場での興行は控えたものの、が空前の人気を獲得しており、年間7回開催の日本武道館大会は全て超満員札止めを記録するようになっていた。 しかし深夜帯のレギュラー放送は、4月から全日本プロレスの放送時間が1時間から30分に短縮されて「全日本プロレス中継30」となるなど、目に見えて冷遇されていくようになる。 そんななか最大のインディーズ団体「」は、大仁田の退団によりエンタメ路線への大幅な軌道修正を行ったこともあり、より当時日本で展開を始めたばかりの、と「3年3億円」の放映契約を締結。 等の大規模会場で興行を行うほか、までリングに上げてしまうという、まさにショープロレス路線を突き進んだが、ファンの支持を得ることが出来ず、迷走が始まる。 迷走は歯止めがかからず、にディレクTVがと事実上統合されると、放映権料は大幅に下落。 団体は倒産し、社長が自殺するという最悪の結末を迎えた。 ゴールデン枠との決別、インディーズ団体乱立、CS中継の拡大 [ ] 、馬場逝去後の全日本で社長に就いていたが、馬場夫人でオーナーのとの確執から代表取締役社長職を解任されると、三沢以下殆どの選手や社員が全日本を退社し、を旗揚げ。 その際、放映権を持ち全日本の大でもあった日本テレビも株を手放し、同年6月19日に中継即打ち切りを発表し、同年6月21日に終了した。 28年にも及ぶ同番組の終了は、あまりにも突然であった。 なお、番組枠は司会のプロレス情報番組「」に切り替わるものの、翌4月からは新番組「」(以下、ノア中継)を開始。 一方の全日本は資金難、人材難でピンチを迎え、外国人選手やフリーランスに支えられて生き残ったものの暫くの間地上波中継ゼロの状態へと転落することとなってしまった。 WPWは全国のネット局で放送枠がバラバラであったものの、ドーム大会になるとゴールデン枠で、真夏の祭典「」決勝戦は日曜夕方(高校野球優先のABCテレビだけは時差放送)で、それぞれ特番を放送していた。 しかし他局が「」や「」など他の格闘技番組を次々と放送するようになったことや、いわゆるビッグマッチでのプロレス中継における度重なる乱闘劇やノーコンテスト判定、および昨今のバラエティ番組によく見られるテイストをゴールデンでの中継に導入したことから、次第にファンや俗に言う「一見さん」がプロレス中継から離れていくこととなり、テレビ朝日は5月のドーム大会以降ゴールデン枠での特番から撤退。 G1決勝戦特番もを最後に全国ネットから外れてしまった。 2004年4月からは放送時間が1時間から30分に短縮されてしまう。 からは、スカパー! (SKY PerfecTV! )の普及などで衛星放送での中継が目立つようになる。 ノアの中継は日本テレビのCSチャンネルであるで、新日本の中継もテレビ朝日のBSチャンネルであるなどにメイン放送がシフトしていった(ただし従来の地上波プロレス中継も時間を短縮させながら継続している)。 また、乱立するインディーズ団体や女子プロレス団体の中継にも、CS放送は一役買っており、格闘技専門チャンネル「」(サムライTV)を筆頭に、スポーツ系の各チャンネルが中継している。 またこの頃からプロレス中継のネット配信も行われるようになり、日本テレビのノア中継のサイトから過去の試合を有料で閲覧できるようになった(現在は終了)他、新日本オフィシャル動画配信サイト等でも名勝負の動画を見ることが可能となっている。 一方、長年において全日本女子の試合を中継したフジテレビは、から番組タイトルを「」にリニューアルし、エンターテイメント性の高い番組へと移行させていたが、団体の二度の不渡りやテレビコンテンツとして成り立たなくなった状況などから、20年以上の女子プロレス中継の歴史に幕を閉じた(ただしフジテレビは放送終了以前からフジテレビ社屋での全女お台場大会の興行も行っており、放送終了後もお台場興行自体はノーTVの状態で行っていた)。 、新日本を退団していたが設立したの中継番組「破壊王プロレスZERO-ONE」がテレビ東京でスタート。 (後半は)やプロレス通で知られるが番組を盛り上げ、月1回の(後半は2月に1度ペース)オンエアーであった。 (概ね土曜夕方の75分間)だが、こちらは自然消滅した。 、社長体制の新生全日本の地上波レギュラー番組・がテレビ東京でスタート。 テレビ東京は制作に一切かかわらず、の放送素材を使っての形で実況を入れて全日本が番組を作り、テレビ東京に放送してもらう新しいスタイルの番組であった。 そのため視聴率などは気にする必要が無かったが、番組制作予算が全日本の予算と合わなくなったことで翌に終了。 だがに、スペシャル版として深夜枠に復活放送された。 設立直後から日本テレビと蜜月関係にあり、団体として安泰が続いていたノアだったが、がで長期欠場に入った2006年あたりから観客動員・視聴率ともに低迷し始め、9月にが放送を終了し、さらに日本テレビも3月末をもって地上波の放送を打ち切り、55年にわたる日本テレビのプロレス中継に終止符が打たれた。 現在 [ ] ここ最近はネットや方式の普及などで中継形態も変化している。 2004年から始まったは、同じ興行団体が主催していたPRIDEと同じくSKY PerfecTV! によるPPV方式を採用し、また公式サイトでの有料動画配信を行うなど、地上波にウェイトを置かない中継システムを採用している(因みにハッスルは一時、やはりPRIDEと共に「東海地方のみの地上波定期放送」という珍しい方式を採用していた。 詳しくはハッスルの項目を参照)。 またやなどのブロードバンドの普及により、日本テレビとつながりの深いノアを除く多くの団体がブロードバンド配信による中継配信に進出している。 これらはネットに接続さえすればいつでも見ることが可能であるので、少々強引ではあるが、考えようによっては、「プロレスがゴールデンに帰ってきた(ゴールデンの時間帯にネット中継を見た場合)」と表現することもできる。 2010年からはによる生中継を採用したが始まっており、新たな中継手段として注目を浴びている。 こちらは名が示すとおり19時、すなわちゴールデンのリアルタイム中継である。 2013年からはにてプロレス番組を放送する「」が開始され、主にインディ団体の興行を生中継あるいは録画中継を適宜行っている。 他方、地上波に関してはK-1やPRIDEなどの格闘技番組に押され、プロレス中継は衰退の一途を辿っていると言わざるを得ない。 ただし2000年代以降は格闘技を含めプロ野球などスポーツ中継番組自体が、国際戦を除き減少傾向にある。 他競技同様、プロレスも決して地上波が要らなくなったわけではなく、広い層へのアピールにはやはり地上波での放映が不可欠、といった考え方は、今でもプロレス界に根強く残っている。 しかし現在地上波で中継されているプロレス団体はローカルを除けば新日本のみ、それも全くの、深夜帯での放送となっており、衛星放送やインターネット配信に活路を見出している。 現在のプロレス中継番組と放映権を持つ放送局 [ ] 専門局であるFIGHTING TV サムライのプロレス中継枠における番組を除く(独自の番組名が付いたものは記載)。 新日本プロレス [ ] 「」も参照• (CS)「」 北米 [ ] 北米では、興行自体がテレビ番組としてパッケージされ、これを「テレビマッチ」と呼ぶ。 ビッグマッチはPPVで放送され「特番」と呼ばれる。 一方、テレビでは放送されない興行を「」と呼ぶ。 、発足メンバーのひとりドン・オーウェン率いるの(PNW)がKPTVにてテレビ放送を開始。 1970年代までテレビマッチは観客を入れずにスタジオで収録する方式を執っていた。 当時は三大ネットワークでもプロレス番組が組まれていたが、ケーブルテレビの普及が進んだ1980年代以降はそちらが主流となる。 NWA傘下ジョージア州テリトリーのの放送が1972年にWQXI-TV(現在のWXIA)からに移籍、1973年よりそのWTBSが全国放送へ移行したのがきっかけとなった。 一方、1983年にWWF(現:)も「WWFオール・アメリカン・レスリング」を開始、後に「」へとつながる。 三大ネットワークのひとつであるでは1980年代後半から1990年前半までWWFの番組が放送されており、2006年から2008年まで「」がリバイバルされた。 インディー団体の大半はテレビ番組を持たず、興行を映像ソフトとして収録する方式を採るケースが多いが、最近ではインターネットPPV(iPPV)を利用して放送を行うケースも見られるようになった。 WWE [ ] (当時WWF)は、1980年代になど他団体のテレビ放送枠を買い取り、テレビ番組を利用した拡大戦略を進めている。 1985年に初のPPV「」を放送した。 レギュラー番組として1993年より「RAW」(開始当時は「Monday Night RAW」)、1999年より「SmackDown」(2016年7月より「SmackDown LIVE」)が放送されている。 前者は原則生放送、後者は収録方式が取られていたが、2018年現在両番組ともに基本的に生放送である(放送日が年末年始などに重なる場合は収録放送となる場合がある)。 (イギリス)• (オーストラリア)• J SPORTS(日本) TNA [ ] のレギュラー番組は「Impact Wrestling」と「」が放送されているが、後者は本国では放送が打ち切られている。 デスティネーション・アメリカ(2015年より)「」• SBG「」 メキシコ [ ] メキシコでは当初テレビでのプロレス中継が認められておらず、1980年代後半に入り解禁された。 現在ではCMLLなどメジャー団体ではPPVも行われている。 CMLL [ ] 「」も参照• テレビサ 主なプロレス解説者 [ ] 日本 [ ] ワールドプロレスリング [ ]• (ライター)• (元週刊ゴング編集長) プロレスリング・ノア中継 [ ]• 佐久間一彦(元週刊プロレス編集長)• 大日大戦 [ ]• ALLJAPAN B-Banquet [ ]• (元編集長)• ニコプロ [ ]• (ライター、実況も兼任) 女子プロレス [ ]• 過去 [ ]• (東京スポーツ)• アメリカ [ ]• 主なプロレス実況アナウンサー [ ] 日本• アメリカ• プロレスの実況アナウンサーについては、も参照のこと。 脚注 [ ].

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そしてその力道山率いる 日本プロレスがすったもんだして、 アントニオ猪木の 新日本プロレスと ジャイアント馬場の 全日本プロレスに分かれていった、という感じですね。 そして、新日本はテレビ朝日が、全日本は日本テレビが中継をしているということで、似たような集団が2つあってしのぎを削っているような印象というか。 私が小学生の時は、新日本と全日本の区別ってみんなあんまり気にしてないというか理解してなかったと思いますね。 クラスでも。 でも、友達の家に行くと猪木や馬場のポスターが貼ってあったりして、 身近なヒーローだったんですよね、この2人の社長は。 あと、タイガーマスクの初代(佐山聡)が新日本でデビューして、その後二代目(三沢光晴)が全日本でデビューしてます。 この話がまた、この両団体をごちゃ混ぜのイメージにしてしまったような次第です。 ああ、あと、長州がジャパンプロレスで全日本に上がって、また新日本に出戻って、とか。 それが後の異種格闘技戦にも表れていくんですね。 そしてアメリカンプロレスを存分に取り入れた全日本のことを ショーマン・スタイルと呼び、あんなのは勝負じゃない、と。 まず、新日本の道場で行われる練習は スクワットとスパーリングが多いです。 スパーリングは セメントと呼ばれて、打撃なしの関節の取り合いをひたすら競う練習ですね。 片方が亀の形になってうずくまって、ヨーイドンでもう片方が関節を極めにかかる、という練習です。 このセメントが、新日本のレスリング技術を卓越したものにしているんですね。 藤原喜明が、その練習のコーチ役をしていたそうで。 一方、全日本はというと、ひたすら 受け身を練習します。 越中詩郎が若い頃、先輩からのイジメに遭ってわけのわからない受け身を何度もやらされて潰されそうになった、みたいなエピソードもありますね。 選手の雰囲気も違います。 まず、全日本は大きい身体のレスラーが多いです。 海外から呼ぶレスラーも巨人が多い。 これは馬場の意向によるものが大きいでしょうね。 そして、外国人レスラーは向こうで既にある程度地位と名声を築いている人気レスラーを高いギャラで呼びます。 まあ、今は何でもアリなスタイルですけどね。 新日本が日なたで、全日本が日陰な感じ。 いや、いい意味でね。 絶妙なライバル関係が後の群雄割拠を面白くした? 今では プロレス団体乱立時代です。 ドラゴンゲートやDDT、大日本といった、インディー系でありながらも集客をしっかりやっている実力派団体もいますし、大仁田厚界隈のデスマッチ路線もまだまだ生きてます。 そして女子プロ。 もう、よくわからないことになってますからね。 で、これは日本プロレスで起きたゴタゴタの再来のような印象でして、 プロレス界という大きな船の中で持ち場を取り合いしているというのかな。 この今の群雄割拠は、やはり猪木vs. 馬場という冷戦、拮抗がうまい具合に続いたからこそ生まれた賜物なんじゃないかな、と思う次第であります。 どこからどこまでがアングルなのか、ガチなのかが見えにくい今の状況は、ファンとしては非常に楽しいものです。 ^^ アメリカ、メキシコのマット界との交流もありつつ、日本は日本で独自の進化を遂げているプロレス。 10年後は一体どうなってるんでしょうか。

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